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ハリマ風土記(試論)・⑤

Photo             ●≪古代山陽道/国府・駅家図≫

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山陽道

「山陽道」とは、古代の地方行政区画である
五畿七道のうちの一つ。
七道のうち唯一の大路とされた―。


◆八カ国

7世紀後半、ヤマト政権は律令国家の建設にあたり
七道制という広域の地方行政区分を定める。

七道とは、「東海道・東山道・北陸道・山陰道・
山陽道・南海道・西海道」を指す。

山陽道は、現在の兵庫県明石市から
山口県下関市に至る、瀬戸内海沿岸地域を縦断。


都(平城京・平安京)と西海道の総督府・大宰府を繋ぐ、
最重要交通路であった。

山陽道には、「播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・
周防・長門」の八カ国が属した。
 


◆瓦葺・白壁・朱塗りの柱

都と七道諸国を結ぶ道路を駅路(
えきろ)と云い、
その道幅は12メートルにも及ぶ直線道路であった。

駅路上には、30里(約16キロ)ごとに
駅家(
うまや)という施設が置かれた。

56駅を数えた山陽道の駅家には、
20疋の駅馬を配置することが
駅(伝)制により定められ、
往来する官人らがこれを利用した。

1986年に発掘された、兵庫県たつの市揖西町の
小犬丸遺跡は、布勢駅の遺構である。

発掘現場からは「驛」・「布勢驛戸主」と記された
墨書土器や
木簡が出土した。

これにより、古代の駅家の存在地が
全国ではじめて確認される。
 
山陽道は、唐や新羅などの先進国から派遣された
外交使節が都に向かう際の国際道路でもあった。

そのため駅家には、「瓦葺・白壁・朱塗りの柱」という
国家の威信を示すための豪華な意匠が施される。

一方、民衆にとっての山陽道とは、
調・庸などの貢納物の運搬や労役を強いられる
過酷な道に他ならなかった。

奈良時代の高僧で、民衆仏教の伝道に従事した
行基(
ぎょうき)(668~749)は、
彼らのための「布施屋」と呼ばれる
救護・宿泊施設を造営した事でも知られる。
               
             


後年、奈良・東大寺の大仏造営の勧進役となった行基が、
摂津から播磨にかけて開いたとされる港の一つに
「室津(檉生泊)」がある。

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(2012/May/05)

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