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周防国吉敷郡 (1)吉敷郡

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●≪周防国吉敷郡略図≫
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刻書石が出土したのは、古代周防国吉敷郡である。

現在の山口市の大半と防府市・宇部市の一部の地域にあたる郡内には、
「八田・宇努・仲河・益必・神前・多宝・八千・賀宝・浮囚・広伴」の十郷が
存在した
(『和名類聚抄』巻八大東急記念文庫本)

このうち遺称地が推測できるのは、
八田(山口市大内矢田)・宇努(同上・下宇野令)・神前(同秋穂二島幸﨑)・
八千(同鋳銭司矢地)・賀宝(同嘉川)にとどまり、
仲河・益必・多宝・広伴および浮因(俘囚)の故地は不詳とされる。                          
周知のように俘囚とは、律令国家に服属し内国移配された
陸奥・出羽地方の蝦夷(エミシ)に対する身分呼称である。  

『和名抄』によると俘囚郷は、上野国(多胡郡・緑野郡・碓氷郡)・
周防国(吉敷郡)にあり、播磨国(賀古郡・賀茂郡・美嚢郡)に夷俘郷をあげる。
(『延喜式』主税上には、俘囚料として35ヵ国が出挙稲を計上している。)   

諸国の国司は「俘囚(夷俘)専当」の兼任を命じられ、俘囚を管理統制した。

下向井龍彦によれば、移配俘囚の現実的な利用目的は「群盗賊追捕の
傭兵的武力として活用することであった(『日本三大実録』貞観十二年
〔870〕十二月二日条)」という。
 
山口市を流れ山口湾に注ぐ川を「椹野川」と呼ぶ。
御園生翁甫は、椹野川(椹野荘)はフシュウの訛音であるとして、
現在の山口市平川・大歳付近を俘囚郷に比定する。

これに対し八木充は、フシュウがフシノにいかに転化するか疑問があるとした上で、
「吉敷郡俘囚郷の所在地は以前不明であり、椹野荘の荘域とは別個に検索する
必要がある」とする。  

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(2018/05/13) 

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