« 周防国吉敷郡 (1)吉敷郡 | トップページ

周防国吉敷郡(2) 椹野荘

Photo
●≪椹野荘(椹野大権現を眺める)≫水彩・色鉛筆、紙
*

*

刻書石の出土地を古く「仁保津」という。     
  

・・・此辺もと海辺にて仁保殿〈鎌倉巳来の旧家なり〉     
の米穀運漕の津なりしゆへ此名ある歟    
     
       
                   
(『防長風土注進案』第二上中郷) 

*

仁保津は、天平勝宝年間(749-757)成立の
東大寺領椹野荘の推定域にあたる。

椹野荘は椹野川河口に広がった荘園である。
椹野荘の初見史料には、「周防国吉敷郡椹野荘田
九十一町六段十九歩」とある。

本荘の具体的な荘域は確定しえないが、
「当時の海岸線である現在の新山口駅あたりから椹野川沿いに
山口市朝田付近まで広がっていた」と推定されている。
                        
椹野川の河口は、近世の開作・干拓事業により南へ約6㎞前進している。

古代の仁保津付近はラグーン(潟湖)と呼ばれる湿地帯で、
吉敷郡の拠点港津であったと考えられる。

さらに当該地は、8世紀から10世紀にわたる
長門国直轄の採銅・精銅官衙跡として知られる
長登銅山(現美祢市美東町長登)で産出した銅の
積出港としても想定されている  

『正倉院文書』の「丹裹文書」に、長門国司へ宛てた
後欠の「造東大寺司牒案」が存在するが、
本史料は「8世紀中葉における瀬戸内海水運の実態を
知る上でまことに貴重な史料」として注目される。
(つづく)  
**

*

*

(2018/05/19)

*

*

*

« 周防国吉敷郡 (1)吉敷郡 | トップページ